咲く花

四、

抑えきれぬ闘争心を鋭い牙と共に剥き出しにして、階段の上から一匹の妖怪が猛進してくる。獣の脚に、蜥蜴(とかげ)の頭。あまりにも不釣合いなそれらは、棘の鞭により造作も無く分断され、地に伏した。この程度の妖怪ならば、二人の敵ではない。足を前へと運ぶ速度を緩めることなく、ただひたすら、現れる敵を斬り捨て、あるいはやり過ごして前へ進んでいく。
「目的のものはどこに?」
背後から攻撃を仕掛けてきた一体を鞭の一振りでなぎ払い、数歩先を行く飛影に問い掛ける。飛影は、邪眼の映す光景に集中するため閉ざしていた両の瞳を開け、薄く笑みを浮かべた。
「この上の階の一番奥にある部屋だ。ご主人様も一緒だな」
「城の主直々のお出迎えですか」
「あともう一人…おそらくこいつが結界師だな。鏡を守っていやがる」
「…厄介な事になりそうだな」
蔵馬は呟くと、髪の中からもう一輪の薔薇を取り出した。ようやく現れた階段を一気に駆け上がり、ただひたすら奥の扉を目指して突き進んでいく。
最後のあがきと言わんばかりに待ち構えていた十数の妖怪達の間をすり抜け、二人はようやくたどり着いた扉の前で立ち止まる。彼らが辿って来た通路は、追手の妖怪で埋め尽くされていた。
「念のため、邪魔されないよう足止めしておきますか」
そう言うと、蔵馬は先ほどの薔薇を投げた。さくりと床に突き刺さった薔薇は瞬時に成長し、天井まで行き渡る棘の壁となった。獲物を見失った妖怪が咆哮し、行く手を塞ぐ壁に突進する。が、それは壁を破壊する前に無数の鋭い棘に貫かれ、断末魔の一声と共に崩れ落ちた。
「ガアアアアア!!!」
妖怪達が怒りの声を上げる。それに背を向け、蔵馬と飛影は金の装飾が施された扉を勢い良く開け放った。

「思ったより早かったな」
太く、低い男の声が二人を出迎える。
何も置かれていない部屋。ただ広いだけの、おそらく自分達を「迎える」ために選んだのであろうそこに、男が二人、座っていた。いかにも屈強そうな大柄の男――先ほどの声はこの男だ――と、胸に『冥皇の鏡』を抱いた、淡い緑の髪をもつ、細身の男。
「もう少し時間を稼げると思っていたが…どうやらうちの兵ではまったくの役不足だったようだ」
にや…と浮かべた醜悪な笑顔で言うと、男は音も無く立ち上がった。見上げる長身。褐色の肌。鍛え上げられた肉体をさらに鋼鉄の鎧で包み込み、黒い髪を肩まで垂らしている。嘲るような眼差しを向ける目は、アメジストのような紫の光を放ち、ぎらぎらと濡れていた。そこに感じられたのは、歓喜……だった。獲物を見つけた、獣の目…そんな形容が自然と浮かぶ。その目と視線が絡んだとき、蔵馬の背筋に悪寒めいたものが走った。…どこかで見た事のある目だ。蔵馬の脳裏でそう声がした。
「その鏡を渡してもらおうか」
視線を逸らせず、動く事が出来ない蔵馬の一歩後方から、飛影が挑戦的に言葉を紡ぐ。
「ふん…やはり狙いはこの鏡か…」
ちらりと眼だけを飛影に向け、男はますますその笑みを深くした。
「残念だがそれは出来んな」
意地悪い眼がにやりと歪む。
「ほう…そうか。なら…」
「!!」
「力ずくで奪うまでだ」
一瞬の後に消えた飛影の黒い影が、部屋の隅に腰を下ろしたままのもう一人の男の眼前に現れる。
「ハアッ!」
気合の一声と共に閃光の一撃が走る。俯いた男の首を確実に捕らえる角度だった。しかし……―――
「飛影!結界が…!!」
そう。男はその胸に抱き締めた『冥皇の鏡』ごと己の身体を結界で包んでいた。飛影の剣が青白く輝きを増した結界に食い込む。刹那、何かが弾けるような音がして、男の身体がスパークした。
「くっ!」
「飛影!!」
部屋を包み込んだ目も眩むような光の中、飛影の小さな身体がはじけ飛ぶ。宙を舞ったそれは激しく壁に叩きつけられた。
「ふ…ふははははは!!貴様ごときの力で、こいつの結界を破れるわけが無いわ!」
アメジストの眼の男の高らかな笑い声が広い室内に響き渡る。
「稜瑶(りょうよう)はこの俺、紫漸(しぜん)が、この鏡の守として雇った優秀な結界師なのだからな!」
「く…」
煙の中から起き上がった飛影が恨めしげに男――紫漸を睨み上げる。それすら嘲ったように、彼は鼻を鳴らして言い放った。
「城を覆っていた結界を越えたからといって、いい気になるんじゃないぜ。まあ、今まで誰も気付かなかったあのスイッチを見つけた事は誉めてやるがな。」
「……鏡一つで随分と慎重なことだな」
「あたりまえよ」
僅かな殺気が込められた蔵馬の声に紫の眼が向く。
「俺はこの鏡を一度盗られているからな…忘れもしない…白と黒の二人組みだった」
「……何?」
蔵馬の背筋に再び冷たいものが流れた。白と黒……まさか。
「この鏡はもともと俺が昔作らせたもの…折角手元に戻ってきたからな。再びあいつらに盗られることが無いように、こうやって厳重に守らせているのさ」
心臓がゆっくりと鼓動を早めていく。そんな彼に、紫漸はあっさりと言い放った。
「まあ…黒い方は殺してやったがな」
「………!!!」
間違いない。この独特の眼――どこかで見た事があると思っていた。
遥か何百年も昔の記憶を、妖狐は確かに忘れ去ってはいなかった。
『よせっ、黒鵺――!!』
『大切なものなんだ!』
黒鵺の黒い背中が遠ざかっていく。その向こう、一つの影が無数の兵の前に立った。蔵馬の眼に、二つのアメジストが見えた。獣の光を放ち、黒鵺を見つめている。影の手から、一本の竹槍が放たれた。それが鋭い角度で黒鵺の身体を突き破り、赤いものを吹き上げた。それを合図としたかのように、二本、三本と交わるように友を襲った。
『黒鵺―――!!!』
『俺に構わず、逃げろ、蔵馬ぁ―――っ!』
黒鵺が絶叫する。その後ろから、先ほどのアメジストがゆっくりとこちらに向かって歩を進めていた。獲物を見つけた、獣のような光を放って――
それから後は覚えてはいなかった。気が付いたら森の中を全力で駆け抜けていた。忘れられるはずが無い。あの恐ろしいアメジストの光。黒鵺を殺したのは、この男だ――……


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