元、蔵馬の家は、人口の減少により取り壊され、今では公園の一部になっていた。
それでも見事なあの桜の樹は切られることなく残っており、今丁度、満開の花を咲かせている。


『今年も咲いたんだな。良かった……』


懐かしそうに木の幹に頬を寄せ、まるで樹の鼓動を聞くかのようにうっとりと目を閉じる。
主人の気を感じ取ったのか、樹がさわりと枝を揺らし、はらはらとその美しい薄桃色の花弁を蔵馬の上に降らせた。

だが花弁は、彼に積もることなく地におりる。
その途端、樹が息を呑んだように感じられた。

苦笑した蔵馬が、なだめるように囁く。


『驚かせて悪いね。
ちょっとわけあって、こんな姿になってしまったんだ』


樹は、今の蔵馬がどういった状態なのか、悟ったようであった。
寄り添うように枝を伸ばし、またさわりと葉を揺らして、あたたかな花弁で蔵馬を包む。

どこか哀しそうに見えたのは、目の錯覚ではないだろう。


『今日は、お前にお別れを言いに来たんだよ』


ゆっくりと、眼を閉じて言葉を紡ぐ。


『オレは、この飛影と魔界で暮らすんだ。だから――』

「また、来年になったら来てやる」


突然の飛影の言葉に、蔵馬ははっと顔を上げた。
振り返ると、飛影は満開の桜の樹を見上げている。


「来年、貴様がまた花を咲かせたらまたここに来てやる。
枯れたら知らんがな」


蔵馬の表情が喜びに満ちる。

こんな蔵馬を見たら、そう言わずにはいられなかった。

こんな、幸せそうな――……


『……じゃあね。
また来年も、綺麗な花を咲かせるんだよ』


言ってそっと一つ、幹に口付けを落とし、背を向けた飛影の元に駆け寄ってくる。

そしてふわりと、飛影を背中から抱き締めた。


『ありがとう』


――これが、幸せというものなのだろうか。

自分の中の足りないものが埋められていく気がして、何だかあたたかい。
――心地良い。


「……行くぞ。今日の寝床を探す」


永遠なんてないと解かっている。

すべてのものに等しく終わりはやってくる。

なのにそれを望むのは、愚か者のすることだと思っていた。

――けれど今、心の底から永遠を望んでいる自分がいる――


『飛影』


蔵馬が呼ぶ。

振り向こうとした、瞬間だった。


『……飛影!?』


世界が歪んだ。


『大丈夫か、飛影、飛影!!』


叫ぶような蔵馬の呼び声。

半透明の彼の向こうに、吸い込まれるかと思うほど青い空が見えた。


「………たいしたことはない。頭がふらついただけだ」


起き上がり、なお心配そうにこちらを見つめている蔵馬にもう一度「大丈夫だ」と言う。

だが言葉とは裏腹に、全身に力がうまく入らない。
頭の中で本能がけたたましい危険信号をかき鳴らしていた。


………異変の始まりだった。

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