何故こんなにも、「彼」の顔が頭の中に鮮明に焼き付けられるのか、全く解からなかった。
瞼を閉じれば浮かんでくる、女と見紛うほどに整った貌。頭を振ってその幻影を掻き消そうと足掻いても、それは叶うことは無かった。
初めて出会ったときの、髪の短い頃。驚いたように大きな瞳を、尚大きくしたどこかあどけない表情。冷たい、氷のような眼差しを己に向けたかと思えば、まるで溶かされたような笑みが柔らかく広がる。
次から次へと現れる「彼」と視線が合えば、もうお終いだった。早鐘のように高鳴った己の核を静められず、ただ星を仰ぐしかない。そうしているうちに寄せてくる睡魔の波に身を委ねるのが、「彼」から逃れるただ一つの手段で。「彼」と過ごす時が積み重なるほどに、己の中は「彼」の幻影で埋め尽くされていく。もう、あふれかえるほどに。
今日見たあの表情も、いつものように、鮮やか過ぎるほどくっきりと刻みついた。腹から血を流して、己を見つめる勝ち誇った笑み。…ただ一つ、いつもと違うのは、己の中を渦巻くのが‘怒り’だということ。
「……裏切り者めが」
絶対に、許すわけにはいかなかった。

traitor

「―――というわけで、お前の処分は共犯者蔵馬と共に、霊界探偵浦飯幽助の援護をすることに決まった。何か質問はあるか?」
そう言って、霊界の最高責任者…と名乗る、椅子に腰掛けた小さな子どもは机に書類を放った。その視線の先にいる黒ずくめの少年――少なくともそう見える――は、彼に目を向けることなく不機嫌そうな顔を背けている。
聞いているのかいないのか…子ども――コエンマは、反応が無い事にやれやれとため息をついた。ここに入ってきてから、ずっとこの調子である。もともとなのかは知らないが、その赤い瞳が恐ろしいほど不機嫌に吊り上り、明らかな殺気がその身体を取り巻いてる。両腕を、妖力を封じる特殊な錠で拘束されず、周りに警備の者がいなければ、間違いなく暴れだしていそうだ。
「質問が無ければ今からこのビデオテープを持って蔵馬の元へ行ってもらうことになる。もちろん監視つきだ。妙な真似をすれば…解かっておると思うがな」
やはり、反応は無い。コエンマは再度ため息をついて、椅子に深く身を沈めた。
「まあ良い。しっかり任務を果たす事だな」
連れて行け、とコエンマが二、三度手を払うと、それに従って警備が少年を部屋から連れ出す。扉が閉まる直前に、少年の赤い瞳が一瞬だけこちらを向いて、コエンマはぶるりと身震いした。
「まったく飛影の奴…霊界に捕まったのがそんなに悔しかったのか?」
流れ落ちた冷や汗を拭い、コエンマはようやく安堵の息をついた。

人間界に来たところでようやく手錠を外され、飛影は忌々しげに舌打ちする。
「……この俺が霊界に捕まり、挙句人間の援護までさせられる事になるとはな…」
 まったく馬鹿げている。こんなことになったのも、全てはあの男のせいだ。自分と手を組みながら、易々と裏切ってくれた化け狐。
まんまと化かされた自分が間抜けだった。初めからあの男は、現在母親としている人間の女を助けるために、自分と手を組んだのだから。自分と共にどんな窮地を切り抜けてきたからと言って、大切なのは、結局、あの人間の女なのだから。あの女さえ助かれば…目的さえ達成すれば、自分など、ただの妖怪と同じ。
解かっている。解かりきっている。そんなこと、妖怪の間では至極当然だ。互いを繋ぐものが無くなれば、顔を合わせたことのない者と同じ。血縁であったり情であったり、繋ぐものはさまざまであるが、今回自分達を繋いだのは「契約」だった。

「暗黒鏡という鏡を知っているか?」
そう切り出したのは、自分だった。
「何でも願いを叶えることが出来るという――霊界の三大秘宝の一つだな」
「ああ」
「なるほど…それがあればあの人を救えるわけか」
「そういうことだ」
「……俺に盗めと?」
「一人でとは言わん」
「…どういうことだ」
「俺は他の二つにも用がある」
「……」
「俺と手を組まんか?今の貴様では一人で霊界に盗みに入ることは出来まい。それは俺も同じことだ」
「……」
「俺は貴様が断ったところで何も困りはしない。他にあてが無いわけでもないからな。……どうする?」
「……いいだろう」

これが、自分とあの男との間に交わされた「契約」。それはもう、三大秘宝を盗み出したときに期限切れだ。

それでも。
許せなかった。

そこまで考えて、自嘲めいた笑みが浮かんだ。
自分とあの男との間には、もう絆は無い。だから自分にとっても、あの男はただの妖怪。

だから。
殺したって、文句は言われない。

脇にさした剣の感触を確かめて、飛影は寝静まった人間界の闇の中を高く跳んだ。


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