「俺はお前を失いたくなかった」
蔵馬の突然の言葉に、今度は飛影が驚きに目を見開く。そんな飛影を真っ直ぐに見つめたまま、蔵馬は続ける。
「あの時、俺が幽助を庇わずお前が彼を刺していたら…例えあの場は切り抜けられても、お前は間違いなく霊界に追われる身になっていた。霊界には、今の俺達では太刀打ちできないほどに強い力を持った者がいるんだ。絶対に逃げ切れない。例えお前のその足を持ってしても」
知っている。魔界にいる大半の妖怪達が恐れている連中――霊界の特防隊。そして……
「幽助に借りを返したかった。それと――」
呆然とする飛影に、蔵馬が切なげな笑みを見せた。
「貴方を、俺の二の舞にはしたくなかった」
……月光に照らされた蔵馬の顔が、くっきりと眼に焼き付けられた。
あの時、飛影が幽助に刃を振りかざしたとき…後ろから走り寄った蔵馬は、自らを盾にせずとも、あの棘の鞭で飛影の首を落とすことだって可能だった。それをしなかったのは、全ては飛影を霊界から守るため。蔵馬が己の刃を受け、血を流したのは、間違いなく、己のためだった。
「……まったく、呆れるほど甘い奴だな」
ゆっくりと飛影の剣が下ろされた。
「貴方とは随分楽しい思いをさせてもらいましたからね…今更冷酷になんてなれませんよ」
そう言った口元が僅かに笑う。するり、と飛影の咽元に当てられていた蔓が蔵馬の袖口に引っ込んだ。張り詰めていた空気が解ける。それでもそれ以上動くことなく、暫らく視線を絡ませていた――が、不意に、飛影が蔵馬の肩を乱暴に掴んだ。
「!」
突然のことになすがままとなる身体を引き倒し、ベッドに押し付ける。ようやく状況を把握しかけた蔵馬のシャツが、滑り込んだ手に捲し上げられた。
「なっ………」
飛影の柔らかい舌が腹をなぞる。その感覚にびくりと身体が跳ねた。
「何を…っ!?」
逃れようと後退る身体を、腰を抱かれ尚引き寄せられた。
――傷跡。
蔵馬の薬草により殆ど完治しているものの、まだ薄らと跡が残っていた。それを飛影の舌は辿っているのだ。
ゆっくりゆっくりと、濡れた感触が傷の上を往復する。むず痒さと背筋を走った悪寒めいたものに、堪らずぶるりと震え、叫んだ。
「や…めろ…っ!」
引き剥がそうと逆立った髪を鷲掴むが、ふと、何か熱いものが腹から湧き上がってきたのを感じ、その手を緩める。
傷口から、徐々に染み入ってくる熱がある。……妖気だ。
「……飛影?」
呼びかけるが、返事は無い。
それからしばしの間、蔵馬は呆然と、自分の傷に舌を這わせ続ける飛影を見下ろしていた。

ようやく飛影が顔を上げたとき、蔵馬の腹にあの痛々しい跡は無かった。飛影が送り込んだ妖気が、傷跡をすっかり消してしまったのだ。
「飛影……」
「これで借りは返した」
ベッドから飛び降り、床に落ちていた鞘を拾い上げながら飛影は言った。蔵馬は目を瞬かせた後、すぐに苦笑を浮かべた。
「……そうですね」
自分が刻み付けた蔵馬への貸し――それを飛影は自らの手で消し去ったのだった。傷などあと数日すれば完全に消えていたはずだが、蔵馬は何も言わなかった。きっと、こうしなければ彼の気は済まなかったのだろう。これが彼なりの礼と、謝罪なのだ。笑ってしまいそうになるほど、不器用ではあるけれど。
「何を笑っている?」
「いや、何も」
不機嫌そうな問いに慌てて笑みを引っ込めると、ベッドの上に何か黒いものが投げられた。
「コエンマからだ」
「コエンマから?」
「免罪のための指令内容が録画されたテープだ」
免罪、という言葉に、テープに視線を落としていた蔵馬が弾かれたように顔を上げる。
「……飛影…お前は…」
「さっさと観たらどうだ?」
そう言って、飛影はくるりと背を向けた。
遮られた、お前はどうなったんだ――という問いは呑み込んだ。きっとこのテープに、全ての答えが入っているのだろう。自分の、そして飛影の‘これから’の答えが。

「……飛影、さっきの――なぜそこまで生きることにこだわるのか…っていう質問の答えだが――…」
ビデオテープをデッキに入れながら、蔵馬は背後に立つ飛影に囁きかけた。
「今あえて理由を述べるなら、そうだな――もう少し貴方と仕事をしてみたいから……かもしれない」
テレビの砂嵐に照らされた、蔵馬の企んだような笑みが振り返る。跳ね上がった飛影の核に合わせたかのように、ブツッ、と画面が黒一色に切り替わった。

2003?〜2006?

2

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