咲く花

九、

「………っ」
蔵馬の身体がぐらりと体が崩れる。それが紫漸の血に染められた花の海に倒れこむ寸前で、誰かの腕に支えられた。
「馬鹿が。見栄を張って妖気を使いすぎだ」
「……飛影」
蔵馬が顔を上げると、いつもの無愛想な瞳が自分を見下ろしていた。飛影はふんと鼻を鳴らすと、それでも優しく蔵馬を床に座らせる。
「すまない…飛影」
礼を述べる蔵馬には答えず、飛影は床に積もった花を無造作に蹴散らして歩いて行く。やがて花の中から僅かに覗いた冥皇の鏡を見つけ、稜瑶の腕からそれを取り上るとこちらへ戻ってきた。
「……飛影?」
無言で自分に鏡を差し出す飛影を、蔵馬は訝しげな目で見上げる。それでも飛影は何も言わず、蔵馬の手に無理矢理収めさせた。途端、鏡の表面に映った蔵馬の顔がゆうらりと揺らぎだし、別の誰かの顔を形作った。黒く長い髪、黒い翼、特徴のある形の帽子――……
「………黒鵺………」
「それが貴様の昔の仲間か」
傍らから覗き込んだ飛影が訊ねた。
「………ああ、俺が死なせた仲間だ」
「………ふん」
面白くなさそうに鼻を鳴らすと、飛影は鏡から視線を逸らす。そして、馬鹿馬鹿しいと言いたげに吐き捨てた。
「未だにそんな過去に囚われていやがるのか…冷酷非道といわれた伝説の妖狐蔵馬が笑わせるな」
飛影の言葉に、蔵馬はふっと苦笑を漏らした。‘冥皇の鏡’は己の心の中に今最も強く存在するものを映し出すもの。確かに今の蔵馬の心は、かつての友・黒鵺を死なせたことへのやるせない思いでいっぱいだった。だが――……
「確かに、今は、ね……。誰かさんがわざわざ思い出させてくれましたから」
そう、あくまでもそれは何十年も何百年も前の、消せない…それでも、所詮は過去の…事実であって。昨日の夕方に飛影がやって来なければ、蔵馬だってそんなことはすっかり忘れていたというのに。
「今一番大切なのは、もっと別のことだから…」
呟き、蔵馬が再び視線を落とした鏡は、すでに過去を映してはいなかった。そこに浮かぶのは、人間界で待つ己の母親――。
「さあ、これで約束は果たした」
言って、蔵馬は冥皇の鏡を飛影に手渡す。
「あの人を救う方法を」
「人間界に帰ったら教えてやるさ」
「嘘じゃないでしょうね」
踵を返し歩き出す飛影の背中を追いながら、蔵馬が問うた。
絶え間なく降り続ける花の中を、眩暈がするほどに立ち込める花の香に包まれながら二人の妖怪は進む。やがて二人が去り、城の主の亡骸が赤で埋め尽くされた頃、ようやく血染めの花は降り止んだ。

「ところで、飛影。何故その鏡が必要だったんだ?」
魔界から人間界へと次元のトンネルを抜ける途中、不意に蔵馬が訊ねた。
「ユキナというひとに関係が?」
「………さあな」
それだけ答えると、飛影は口を噤んでしまった。こうなるともう何も答えてはくれない。それをすでに承知している蔵馬は、同じ問いを繰り返すことはしなかった。何か言いたくない理由でもあるんだろうと納得しておく。
無言で歩を進めながら、飛影は己の手の中にある鏡にそっと目をやった。
(………ちっ…何故映らん…)
目の前の光景に飛影は眉をひそめる。
飛影がこの鏡を欲したのは、やはりユキナ――捜し求める妹の姿を確認するためだった。邪眼を駆使しても見つからないまだ見ぬ妹。その顔だけでも頭に入れておいた方が幾分か捜しやすくなるだろう、と判断したのだ。だが、鏡に映るのは――…
(――…くそ…)
そこに浮かび上がるのは、血染めの花弁。ただひたすらに降り続けるそれの中、ひときわ美しく咲く、一輪の花。長い髪に縁取られた、儚げな、それでいて強い瞳がこちらを見つめている――…。その光景が脳裏から離れない。必死で別のことに頭を切り替えようとするが、一瞬の後に再び花は咲き乱れる。舞う花弁は飛影を包み込み、決して放そうとしない。
(――…くそっ…)
「飛影」
「!」
呼ぶ声にはっと我に返る。いつの間にかもとの公園に立っていた。
「どうしたんだ?何か考え事をしていたみたいだったけど」
「……何でもない」
そう答え、無意識のうちに背を向ける。
既に東の空が明るみかけていた。町のところどころから、生き物が目覚める気配を感じる。どこかでにゃあ、と猫が鳴いた。
「どうやら、学校には行けそうだな…」
ほっとしたように呟くと、蔵馬は飛影に向き直る。
「さあ、飛影。報酬を」
ゆっくりと振り返った飛影の瞳に、朝日に照らされた蔵馬の姿が眩しいほどに映った。降りしきる赤。その中に咲くひときわ美しい花――…。見つめてくるその瞳に、どくん、と大きく「核」が跳ね上がった。己の耳に、それはうるさいほどどくどくと響き、その苦しさに飛影は思わず胸のあたりを握り締めた。
「…飛影?」
「霊界の」
ようやく絞り出したその声は、自分のものとは思えなかった。
「霊界の、「暗黒鏡」という宝を知っているか?」

ただひたすらに舞いつづける血染めの花弁。その中に咲く一輪の花。
それに囚われて永遠に自分は逃げられない。
そんな漠然とした予感が、飛影の中にあの花弁のごとく降り積もっていった。

 

あとがき
これを書こうと思ったきっかけは、劇場版「炎の絆」の中で、黒鵺の事を知らないはずの飛影が何故か「俺は何もかも知っている」とでも言うような顔をしていたからです。
…まあ、それはいつものことなんですが。
この話に出てきた「冥皇の鏡」ですが、私の記憶が正しければ映画の中で確かに妖狐と黒鵺が鏡を盗んでいたと思うのです。
それに色々と設定を加えてみました。名前は適当。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2004?〜2006?


8

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