奇声をあげて一匹の妖しが茂みの中から躍り出た。鋭い爪が月光に閃き、無防備に通り過ぎようとした‘御馳走’の咽元へと振り下ろされる。
一瞬の後。
鈍い音がしたと同時に鮮血が夜空を染め、鉛色の肉塊がボトリと重たげな音をたてて落下した。ぬらぬらと光る金色の瞳は月を仰いだまま動かない。その傍らを何事も無かったかのように二つの影が横切った。

大きく膨らんだ月だけが空を飾る夜だった。普通の人間ならとうに眠りについている時刻。街燈の消えた公園に現れたのは、当然、人ではなかった。長い髪に縁取られた者と、黒に身を包んだ者―――。盗賊妖怪、蔵馬と飛影だった。

咲く花

  一、

人間界で生活していた蔵馬のもとに飛影が訪れたのは、日が沈んで間もない頃だった。学校から帰宅し、自室で一息ついていた時。近づいてくる妖気に気付いて窓の外に目をやれば、見覚えのある黒装束が屋根伝いにこちらを目指してきているのが見えた。
約一年ぶり。それでも彼のことははっきりと覚えていた。
「ユキナ」という者のために妖力を捨て、邪眼師となった若い妖怪。そんな彼と蔵馬は一年前偶然出会い、共に妖怪・八ッ手を倒した。出会って僅か数時間。それにしては見事すぎる、絶妙のコンビネーションだった。ただ単に、お互い必死だったというだけのことかもしれないが……それでも、とにかく強烈に印象に残る出会いだったのだ。

「手を組んでみるつもりは無いか?」
欲しい宝があると、彼は言った。そのためには、蔵馬の協力が欲しいのだと。突然の誘いに、蔵馬は思わず紅茶を注いでいた手を止めた。不敵な笑みを浮かべてこちらを見つめてくる飛影に、蔵馬はふわりと微笑みかける。…もちろん、それは思考を読まれないための壁である。
「随分と唐突な話ですね…一体何を狙うつもりで?」
紅茶を注いだカップを飛影に手渡す。飛影はそれを受け取ると、口をつけることなく傍らに置いた。
「魔界の上層部にある城の主が、珍しい鏡を手に入れたという噂を聞いてな」
にや…と、飛影の笑みが僅かに凶悪なものへと変わった。それを感じ、蔵馬は気配を張り詰める。
「ふうん…鏡?何か魔力でも宿ってるのかな」
「何でもとある有名な盗賊妖怪が、わざわざ盗み出したにもかかわらずさっさと手放してしまったものだそうだ」
「へえ…」
「噂によると、そいつはそれを盗んだ時、仲間を死なせたらしくてな。その悪夢のような思い出から逃れたくて、三日も経たないうちに他の盗賊に売った……それが長い年月をかけて、その城の主の手に渡ったんだろう」
飛影の話を聴きながら、蔵馬は自分の背筋に冷たいものが湧き上がってくるのを感じていた。
――……知っている。自分はそれを知っている。誰よりも、何よりも……忘れかけていた遠い日の光景……はるか昔、確かに見た……。
「その宝の名は、‘冥皇の鏡’―――…そうだったな、‘妖狐蔵馬’」
「……っ!!」
無数の笹の葉が舞う。友の身体は幾数本の竹槍に衝かれ、吹き出る赤に染められていた。ただ、赤かった。空も大地も、何もかもが、ただただ、赤かった…
『俺にかまわず、逃げろ、蔵馬――!!』
友の最期の叫びが、今あるもののように蔵馬の耳に響いた。


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