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リィ――――ン……
「見つけてきたようだネェ」
老婆のしわがれた声が、ぼんやりと霞みがかった頭の中に響いた。
「驚いたヨ。虚士の谷に行って本当に戻ってこれるとはネ」
心底感心したという様子で、老婆はふうむと唸った。
虚士の谷とは、虚名の士……すなわち名ばかりで実質を伴わない者どもでは生きて出ることが出来ないことからその名がついた。そこは谷自体が生きていて、うっかりと落ちてきた者を喰らうのである。谷は獲物が自分の中に落ちてから三日かけて、その口を閉じる。 従って、三日以内にそこから出なければ、谷の側面にはさまれてお終いなのである。口を閉じるまで、獲物を逃がさないように、谷は底が見えぬほど深く、またあらゆるトラップが用意されている。妖力が高くても、知能、精神力が欠けていれば決して出ることは出来ない。A級妖怪でさえ、犠牲になることは少なくないのである。
「約束ダ。その指輪は二つともアンタにやるヨ。
こいつもモチロンアンタのものダ」
そう言うと、老婆は懐から取り出した飛影の氷泪石を、地に伏したまま動かない彼の右手に握らせた。飛影は僅かに顔を上げ、老婆を見上げた。
「なぜ………だ」
何故、盗らないのか。飛影はそう言いたいのである。飛影が三日以内に戻れば氷泪石を返すと言ったのは老婆であるが、そうすると老婆には何の得もない。タダで二つの指輪をやることになるからだ。
今、飛影は満足に動けない。普通の妖怪ならばおそらく氷泪石を返さず、飛影を殺した上で逃げることだろう。しかし、そうしない。そして第一、何故この老婆がこんな奇妙な取引を持ち出したのか、そのことが解せなかった。
飛影の言葉に、老婆は目を伏せた。
「アタシは、ずっとなくしたそのもう一つの指輪を探していた」
言いながら、老婆は布の上に並べていた品物の一つ一つを丁寧に纏め始めた。
「その金属ハ、触れ合うと鈴が鳴るような独特の美しい音を発すル。他の物質とぶつけてもその音はならない。その対の指輪が揃ったときだけ響く、この地でたった一つの音サ。片方を落としてから、指輪は歌わなくなった。まるで欠けたもう一方を求めて泣いているようにアタシには見えたヨ。指輪を見つけル、そのためだけに露天商としてあちこちを回った。拾った誰かが指輪を売りにやって来るかもしれないと思ってネ。
でも、そんなヤツは現れなかった。あの谷に入って生きて帰ってきたヤツが数少ないんだかラ、当然といえば当然だろうネ。だからアタシはもう一つの指輪を店に置いた。
アンタのように興味を持つ者にハ、同じ取引を持ちかけた。大切なものを預かれバ、意地でも戻ってこようと思うだろウ。だからアタシは担保としてそいつの大切なものを預かることにした。けれど誰モ、戻ってこなかった。この剣の持ち主モ、この鏡の持ち主モ…………」
纏めた商品を布で包み込むと、老婆はよいしょ、とそれを担ぎ上げた。そうして、少しだけ足元の飛影に顔を向け、小さく笑んだ。
「指輪を見つけてくれて、アリガトウネ」
もう二度と、そのコ達を悲しませないでやっておくれ。そんな老婆の声が、遠のいていく意識の中、飛影には確かに聞こえた。

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指にはめた指輪をくるくると回しながら、蔵馬は緩い笑みを湛えている。
「おい……合わないなら別の指にしろ」
明らかに、指輪は蔵馬の薬指よりも一回り以上大きいように見える。しかし、飛影の言葉に蔵馬はいいえ、と首を振った。
「虫除けだったら、ここにしてなきゃ意味がないでしょう?」
そう言ってまた指輪を見つめ、蔵馬は幸せそうに微笑んだ。

END

2005〜2006?


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