29. おかえり


まったく、このヒトは一体どこでこんなものを覚えてくるのか。

近頃、ことあるごとに賭けをするのが習慣になっていた。負けた方が勝った方の言うことを何でも一つ聞く、という条件で。昨日までは蔵馬の全勝で、掃除だとか、洗い物だとかを飛影にやらせたりしていたのだが。
「今日は俺の勝ちだな、蔵馬」
自分が座っているソファの脇に立って、飛影はこちらを覗き込んでくる。思いっきり嬉しそうなその顔に、蔵馬はヨコシマなものを察知して後ずさった。
"サッカーの試合、どちらのチームが勝つか"
これが今日の賭け。まさか、日本が勝つとは思わなかったと、蔵馬は頭を抱えた。いや、嬉しいけどね、(一応)自分の国なんだから、嬉しいけど……今日はちょっと負けて欲しかったな、なんて、あまりにも都合が良すぎるか。
「それで、何がお望みですか?」
いまだ歓声のやまないブラウン管の向こうを一睨みしてから、蔵馬はブツリと電源を消す。その言葉を待っていたと言わんばかりに、飛影は懐から何かを取り出し、蔵馬に渡した。
「………?これは……」
白い布。何だかひらひらしたレースのようなものが付いている。蔵馬は一瞬、テーブルクロスかと思ったが………
(――――まさか)
嫌な予感がして思いっきり広げる。案の定、それはテーブルクロスにしては小さすぎた。
首を通す輪と、腰で結ぶリボン。丈はおよそ蔵馬の胸から膝あたりで、至るところにまるで少女のワンピースのようなフリルが施されている。そう、それはまさしく、喫茶店のウエイトレスや豪邸のメイドを連想させるような、純白のエプロン・レース付き………だった。
(まさか、まさかまさかまさか………)
こんなものどこで……なんてそんな疑問より、答えを聞きたくない質問が頭の中を駆け巡る。
「飛影、まさか、オレにこれを――……」
「着ろ」
「…………………………」
………今回の予想は外れて欲しかったな。なんて、またしても都合が良すぎるか………。目に映る布地と同じくらい真っ白な思考の端で、そんな他人事のような呟きが聞こえた。
「……男がこんなもの着てるところ見て、一体何が楽しいと?もしくは何の意味があると?」
飛影じゃなかったら殺してるな、と胸中呟きながら、蔵馬はそのエプロンを飛影の胸に押し付けた。思ったより力が入ってしまったらしい。どんっ、とすごい音がした。それでも平然としているあたり、さすがは飛影だが。
「似合うと思うが」
そんなこと言われたって当然嬉しくない。思わずきつくなった視線を向ける蔵馬に、今度は飛影がむっとした表情になる。
「賭けに負けた方は、勝った方の言うことを何でも聞くんじゃなかったのか」
「それでも嫌なものは嫌だ。やらないものはやらない」
「俺に皿洗いやらせといて、お前はやらないと言い張るか」
そう言われれば、蔵馬も弱い。思わず詰まった隙を突き、飛影は蔵馬を引き寄せて、その耳元にそっと囁いた。
「何なら、もっと別のことを要求してやっても良いんだぞ」
間近から覗き込む、飛影の赤い瞳の奥で、ゆらりと冷たい炎がゆらめいた。それを見て、蔵馬はますますぞっとする。
確かに、こんな要求くらいまだ軽い方なのかもしれない。飛影がその気になったら、そりゃもう……一週間はベッドから出られないようなことにもなりかねないだろう。そう考えると、ここで折れておいた方がマシか。かなりプライドが拒みたがっているんだけれど。
「………解かりました、着ればいいんでしょう、着れば」
しぶしぶ飛影からそれを受け取り、広げる。ああ、何て可愛らしいんだろう。これを自分が着た所なんて……絶対見たくないな、色んな意味で。でもまあ、着るだけですむんだからと、蔵馬がそのエプロンの輪に首を通した、その時。
「おい、誰がそのまま着けろと言った?」
その言葉に驚いて視線を向けると、明らかに何か企んでますという顔をした飛影が映る。蔵馬の顔から一気に血の気が引く。
「飛影、まさか………」
それだけは止めてくれと、縋る眼差しを向ける。が。
「脱げ」
「――――――――――」
いともあっさりと告げられた言葉に、もう呆然とするしかなかった。
それは、それはつまり……俗に言う、"ハダカエプロン"とかいうやつであろうか?
「飛影………一体、どこでそんなものを覚えてきたんだ……」
くらくらと抑えきれない眩暈に耐えながら、蔵馬はようやくそれだけを声にした。そんな蔵馬にも、飛影はけろっとした表情で答える。
「この間テレビでやっていた。俺には何が良いのかさっぱりだったがな」
「だったらオレにやらせるな!」
冗談じゃないと叫ぶ蔵馬に、飛影は少しだけ首を傾げてみせた。
「お前だったら良いと思うのかもしれん」
一瞬意味が解からず呆ける。
「だから見てみたいと思った」
蔵馬の顔に、かぁっ、と朱がのぼった。
「………まったく」
あどけないとさえ言える表情の飛影を見ていられなくて、視線を逸らす。
(何でこのヒトは、こんな恥ずかしいことをそんなストレートに言ってくれるのか……)
ヒトには普段そんな恥ずかしい台詞を言うなとか言うくせに、自分の方が凄いじゃないか。この伝説と言われた妖狐蔵馬を赤面させるなんて、まったく。
(………やらないわけにはいかないじゃないか)
まあいい。いずれにせよ、着ることに違いは無いんだから。そう自分自身に言い聞かせて、蔵馬は純白のエプロンを握り締め、すっくと立ち上がった。

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