“羨ましいなぁ”
“何がだ?”
“だって、凄く気持ち良さそうだから”
冗談めかして言った言葉に、飛影は複雑な顔をしていた。

猫の気持ち。

(飛影!!)
そう叫んだつもりでも、やっぱり洩れるのは「にゃお」という猫の声。窓から音も無く舞い降りた飛影はそれでも振り向いて、暫しの間きょとんと蔵馬を見つめた。それからきょろきょろと部屋の中を見回してから――おそらく蔵馬が見当たらないのを不思議に思ったのだろう――もう一度、今度は屈みこみ、間近から蔵馬を覗き込む。“何で猫が?”そう言いたげに首を傾げた。
(飛影、どうして……帰ったんじゃなかったのか)
蔵馬は困惑した。飛影は日の出と共に完全に妖化したあの猫を連れて、魔界に帰ったはずだ。それはほんの数時間前のこと。時間的に考えれば、飛影は魔界に着いた直後、人間界へとんぼ返りしてきたことになる。
(一月以上顔見せないのもざらなのに、こんな時に限って………)
別にまずいことはないのだが、できればばれずに済ませたかった。高だか妖猫(しかも妖化しかけの)に呪いをかけられたなど、とんだ笑い種である。
(間違いなく笑われる……いや、呆れられるかも……って、わっ……ちょ、ちょっと!)
気がつけば蔵馬は飛影の腕に抱き上げられていた。慌ててもがくが、飛影相手には全く意味を成さない。そのまま、窓際の壁にもたれるようにして腰を下ろした飛影の膝に載せられてしまう。尚逃れようと暴れる身体を難なく押さえつけた手が、ゆっくりと黒い艶やかな毛に覆われた背中を撫でた。
(うわっ……)
全身を駆け抜けた感覚に、蔵馬はビクリと身を竦ませる。続けて二度、三度と優しい刺激が降りてきて、耐え切れずへなへなと脱力するように飛影の膝の上で大人しくなった。
(うそ……だろ……)
こんな、普段なら絶対にありえないシチュエーションに、蔵馬は胸の鼓動が高鳴るのを抑えきれなかった。飛影の膝は思うよりもずっとあたたかく、武骨な手はどこまでも優しく彼を包む。
(どうしよう……気持ち良い……)
酔うようにうっとりと目を閉じながら、蔵馬は昨夜の飛影との会話を思い出していた。
昨日、飛影の膝の上に抱かれた猫があまりにも幸せそうだったから、“羨ましい”と言った。“オレも猫になって飛影に可愛がって欲しいな”なんて冗談も沿えて。
その冗談が冗談でなくなってしまうなど、一体誰が想像できようか。そんな思いに苦笑していると、ふと、首を撫でていた手が離れた。それを追うようにして顔を上げると、いつもよりも穏やかな表情をした飛影と目が合った。
“ひえい”と呼ぶ。
すると飛影はふっと笑みを零し、ゆっくりと蔵馬に顔を寄せた。ひとつ、額にぬくもりが触れて、すぐに消える。一旦離れた飛影の顔が、もう一度下りてくる。今度は耳に――それが彼の唇の感触だとようやく気付いたのは、再び飛影と視線が合った時だった。
あまりに突然のその行為に、蔵馬は暫し呆然とする。

(飛影が……こんなことするなんて)
あの、飛影が。
蔵馬は真っ白になった思考のまま飛影を見つめた。
飛影はというと、今度は蔵馬の尻尾に興味を抱いたらしく、掴んだり毛並みを整えたりして遊んでいる。その表情はどこか楽しそうで、蔵馬は、ああ、と思った。
(飛影って猫、好きなんだな………)
昨夜の、猫と戯れる飛影の姿を思い出し、蔵馬はゆっくりと目を閉じる。
彼の膝の上に乗り、優しい手に頭を撫でられてうっとりと目を閉じる、その猫の幸せそうな顔に、僅かながらも羨ましいと感じたのは、本当。飛影は猫の柔らかさと温かさが気に入ったのか、結局猫が完全な妖猫となるまで、片時も放さなかった。今のように膝に載せて。時折楽しげに微笑んだりして――その笑顔が、蔵馬も滅多に見れないほど優しいものだったから、尚更。僅かな時間の間に、いとも簡単にそれを引き出した猫に。羨ましさを抱くと同時に、情けないが、嫉妬していたことも否めない。
(――……ひょっとしたら、あの猫は気付いていたのかもしれない……)
自分を見つめる、蔵馬の眼差しに。そこに込められた思いに。だからわざと、蔵馬に牙をむいたのだろうか。
耳の裏を撫でていた飛影の指がふと、止まって、蔵馬はそっと目を開いた。覗いた黒い瞳がくるりと光を弾いて、飛影の視線を受け止める。
唐突に、飛影はその口を開いた。
「お前、蔵馬だろう」
予想もしていなかった飛影の言葉に、蔵馬は一瞬耳を疑った。ぽかんとしていると、
「違うのか」
問われ、蔵馬は慌てて首を横に振る。
やはりな、飛影は言って、蔵馬の身体を抱き締めた。
「昨日の猫に呪いをかけられたのか。バカな奴だ」
案の定、呆れたように耳元で言われ、蔵馬はしゅんと項垂れた。そんな蔵馬に飛影はふっと笑みを零すと、くしゃくしゃとその頭を撫でてやった。
(でも……どうして?)
何故、解かったのか。されるままになりながらもそう問うように見上げると、伝わったのか、飛影は言う。
「お前の妖気はあるのに姿は見当たらないし、妙な猫はいるし……それに――」
飛影は蔵馬を抱き寄せると、その柔らかい首筋に顔を埋めるようにして呟いた。
「お前といるときと同じ感じがした」
そう言って、飛影はまた唇を落とす。
(それって―――……?)
どういう意味、という蔵馬の問いは届かなかったのだろうか?――飛影は無言のまま、蔵馬を抱き締めつづけた。強く、優しく。
「妖狐に戻ればこれしきの呪い、弾けるだろう?」
ややあった後の飛影の問いに、蔵馬はこくりと頷いた。途端、飛影がにやりとどこか邪な笑みを浮かべる。嫌な予感がした時には遅かった。
「確か、キレれば妖狐に戻るんだったな。手伝ってやるぜ」
(え?ちょっと、飛影――――!?)

――その日、暗くなり始めた頃に南野家の窓から飛び去った飛影は、傷だらけだったとか。

end


妖猫の設定はワタシのオリジナルです。
実際の妖猫がそんなドラキュラまがいの能力を持っていたという言い伝えはありません。……多分。

2005以前?


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