銀の夢・1

「撤退する」
大岩の如く蹲った男がうめくように言うのを、飛影は珍しいものを見るような目で見ていた。男を囲んだ彼の部下たちから非難の声が上がる。しかし彼はただ力なくうなだれたまま、
「あれはだめだ。ヨウコは、だめだ」
それだけを呟いて、沈黙した。

その身にはまだ大きな剣を腕に抱え直して、飛影は顔を上げた。目の前に聳え立つ、古めかしい岩の城。ここに今日、飛影が行動を共にしている盗賊一味は封印が解かれたばかりの宝をとりにくるはずだった。目的のこの地まで残り僅かな距離までたどり着き、翌日忍び入るための下準備をしていたとき、しかし、その情報はとびこんできた。
「ヨウコが宝を狙っている」
「宝を目指してこちらへ向かってきていた別の一団が殺られた」
ヨウコの名を耳にしたとたん、盗賊団の長がさっと顔色を変えたのを飛影は見た。彼が撤退を決定したのは、そのわずか数分後のことだった。

飛影を拾った盗賊団の長は、そこそこ名の通った妖怪だった。剣を交えた相手はその剛腕でことごとく叩き潰してきたのを飛影自身が見ている。もしも今飛影が彼と闘えば、妖力こそ飛影が勝るものの、その圧倒的な経験の差からまだ敵わないだろう。その長が恐れる“ヨウコ”とは、一体どんな妖怪なのか。その目で確かめてみたいという強い好奇心に駆られ、飛影は退却の準備を始めた隊を脱け出して、ここにやってきたのだ。

石垣は飛影の前に、高く高く立ち塞がっていた。固く閉ざされた大門からは、何者をもその向こうにある城へと近づけまいとする意思が感じられるようであった。押しても引いてもびくりともしないそれを相手にするのは早々に諦め、飛影は辺りを見回した。周囲に何の気配もない。自分たち以外の何組かの盗賊たちも宝を狙っていたはずだが、やはりヨウコの噂を聞いて逃げ去ったのだろうか。では、そのヨウコは?まだここまで辿り着いていないのだろうか――……飛影が首を捻った時、ひゅん、と耳元を何かが横切った。
「!」
反射的に跳ぶ。瞬間、足元で炸裂した。高い音とともに粉塵が舞い上がる。それに身体が包み込まれる。と思った途端、両目に走る激痛。
「………ッ!!」
意識が一瞬遠のき、飛影は声もなく地面に転がり落ちた。手をついて何とか上体を起こす。痙攣するように震える目蓋を開いた、はずだった。
闇。
見えない。何も。
ざ、と土を踏む音。耳が捉えたその僅かな音に反応し、咄嗟に戦闘態勢を取る。剣を握り締めた手の感覚はなかった。
「………勇ましい子どもだな」
声。低い、しかしどこか艶のある、男のそれだった。
「そう構えるな。もう何もせん」
笑うような音で、それは告げた。もう、ということは、これはこいつの仕業なのだ。
やられた。飛影はぎりと奥歯を噛んだ。そんな彼に、それは言い放つ。
「少し手伝ってもらいたいだけだ」
何を、と問う前に、背後を取られていた。
「見えぬだろう?」
つい、と目尻を冷たい何か――おそらく指だろう――でなぞられて、ぞくりと背が震える。
「何故こんなところにいた?」
嗤うように耳元に問う。
「――……ヨウコが来ると、聞いた。お前が、そうか」
声が震えて、忌々しさに飛影は拳を握り締めた。
「ヨウコの首をとる気だったのか?」
「別に」
「ならば何故」
「どんなヤツか見てみたかっただけだ」
少しの沈黙の後、くつくつと笑い声が聞こえてきた。
「ヨウコを……ヨウコをなぁ……見てみたいと……」
飛影の質問には答えず、可笑しそうに、笑い続けている。
「物好きなヤツよ……まぁ良い」
首筋に触れる。
「オレの手伝いをすれば、目を治してやらぬでもない」
にい、とそれが今度は刃のように冷たく笑ったのが、見えるはずもないのにわかった。


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