数日後、人間界は休日だと聞いたので、珍しくまだ日の高いうちに蔵馬の元を訪れると、彼は机に向かって何やら奇抜な色をした表紙の本を読んでいた。
「夢占い、ちょっと見てみたらなかなか興味深くてね」
そう言って本を閉じる仕草が、どこかそれを隠すようなものに見えたのは、飛影の気のせいだったのだろうか。そして、何となく合わせる視線がどこかぎこちないのも。
「それで、何かわかったのか」
引っ掛かりを感じながらも、いつも通り床に腰を下ろしながら蔵馬に収穫を問う。
「え、ああ、まあ」
答える蔵馬は、やはりどこか空々しい。
「貴方の方は、その後どうですか。やはりあの、オレを刺す夢を?」
「相変わらずだ」
前回ここを訪れてからも数度、あの夢が現れた。そう答えると、蔵馬はそうですか、と眉を下げた。
「あの香も効かなかったんだな」
「そういえば貴様、何だあれは。火をつけたら一瞬で燃え尽きたぞ」
「それはおそらく、貴方の火加減が強すぎたのかと」
「知るか、そんなもの。それに何だ、あのきつい匂いは」
「香だからね。匂いが強いのは当たり前でしょう」
呆れたように苦笑するのを飛影がじっと観察していると、その視線に気づいたのか、蔵馬は諦めたように後ろ髪を指で数度梳いてから大きく肩を落とした。
「やっぱり、気にしてるんじゃないですか?」
「何をだ」
「オレを降魔の剣で刺したことを」
「…………」
蔵馬の口ぶりからするに、夢占いとやらで導き出されたのはそういう答えだったのだろうと飛影は思った。しかしながら、今でもあのことを引きずっているかというと、飛影自身としては本当にそのようなつもりはないのだ。現に、あんな夢を見るまで一連の出来事に関する記憶は思い出の奥底に仕舞われていたというのに。
だが、夢占いとやらは深層心理を読み取るものだと蔵馬は言った。もしかしたら、飛影自身が気づいていないだけで、あのことに関して何か心にわだかまりを抱いたままなのかもしれない。一度夢に見たことで、埋もれていた記憶と共にあの時の感情まで蘇ったということも考えられなくもない。
「下らん」
そんなつまらない理由であんな面倒な夢を見る自分に唾棄する思いだった。飛影は自分の掌に視線を落とす。この両手に握った刀で、蔵馬を刺すのだ。夢の中で、何度も。
「飛影」
呼ばれて見やると、蔵馬がそっと微笑み瞼を伏せた。そうして着ているセーターの裾に、その細い指を掛ける。
「ほら、もう痕だってどこにも残っていないよ」
ゆっくりと、たくしあげられたその下から覗いた白い肌はただなだらかな丘陵を描いて、蔵馬が息づくたびに静かに震えていた。
過去、何度か傷つき血を流したその場所だった。しかし今、そこにその形跡はない。
「ちゃんと手当てしたからね」
そう悪戯っぽく笑いながら乱れた服を整える蔵馬に、飛影はもう一度、くだらん、と呟いた。そのままそっぽを向いたのは、頬が緩んでいるのを自覚したからだった。


光に溢れる部屋の中で、蔵馬がこちらを見つめて微笑んでいた。
飛影。傷を見せて下さい。ちゃんと手当てしないと痕が残るよ。
言いながら、手を伸ばしてくる。それを払いのけながら、飛影は嗤った。
何を言っている。貴様こそ、そんな傷を負っているくせに。
そう自分で言葉を発してから、飛影は自分の両の掌の中に何かを握りしめていることに気付いた。
目の前で、間近に迫った蔵馬の笑みがみるみる歪んでいく。整った眉が寄せられ、荒い息を吐きながら虚ろに濡れた瞳に飛影を映す。
視線を落とせば、飛影の拳が蔵馬の腹に当たっている。握った指の間から覗いたのは、きつく布が巻かれた、見慣れた刀の柄だった。
蔵馬から血は流れない。しかし、確かに刃は蔵馬を貫いてる。そう、飛影は思っていた。飛影の刀が今、蔵馬に刺さっている。あの、白い腹に、深々と。
そうだ、彼の肌は白かった。日の光の中に浮かび上がったそれは、薄い陰影を刻んでいた。あれは、触れたらどんな感触がするのだろうか。
蔵馬が震えるように髪を乱して首を振る。
飛影。飛影。
呼ぶ声に誘われるように、飛影は一層その手に力を込めるのだ。
そこにはただ、歓喜だけがあった。


飛影は、間もなくその目を開く。夢を夢と認識したとき、その世界での自らの行動を憎み、そして夢の中で溺れた喜びを荒れ狂う苛立ちへと変える。
彼は今日もまた、不愉快な目覚めを迎えるのだった。


もう開き癖がついてしまったそのページに書かれた文字を指で辿りながら、蔵馬はため息をついた。
「……手を、出してくるかと思ったが」
そう言って、そっと自らの腹に触れる。
真実を確かめるためにあんな風に試してみたが、彼は反応してこなかった。
「ということはやっぱり、気にしているんだろうか」
今頃になってまで。
あの一件に関しては、自分に非があるのにと蔵馬は思った。彼の剣を、自分の身体で受け止めるという方法を選んだのは蔵馬自身だった。彼の剣から幽助を守る術は他にもあったにも関わらず。
飛影が気に病むことなど何もない。そう、彼には既に伝えてあるし、彼も解かっているはずなのだが。
だから、いつまでも過去のことを引きずるよりも、
「オレとしては、夢占いが当たってくれている方が嬉しいんだけどね」
ぱたりと軽い音を立てて閉じたその新しい本を、既に机の上に整列している厚い本たちの間に滑り込ませる。その派手な色の背表紙をゆっくりと指で撫でて、蔵馬は微笑む。
「いいよ、飛影になら……刺されても、ね」
呟く声は、どこか甘さを帯びて自身の耳に響いた。


夢は語る

自身さえ知らぬ、その隠れた心理を。


(刃で刺すという夢、それが示しているのは、)


2009.11.24


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