(暗黒武術会直前くらいの話。まだただの(元)共犯者同士)

手の中で、真紅の花は何の抵抗もなくその身を砕いた。あまりにも呆気ないその感触は、常に破壊を求める存在である妖しにとって優しすぎた。花弁の中に包まれていたほんのわずかなぬくもりは、飛影の中に戸惑いを生む。
そっと解き放つように指を開くと、甘い香りとともに粉々になった赤が音もなく零れおちた。まるで鮮血を思わせるその色が、窓枠に身体を預けた飛影をその足元から見上げていた少年の上に降り注ぐ。やはり、赤の似合う男だと思った。
昨夜、暗黒武術会への誘いを受け、戸愚呂弟の姿を見送った後。実力の差も知らずに刃向かってくる魑魅魍魎どもを、少年は飛影の目の前で、一片の慈悲もなくその一振りで切り刻んで見せた。一面の紅い海。その中心に佇みながらなお人間のふりを続ける妖しの姿は、飛影の背を悦楽にも憎悪にも似た衝撃で震わせた。
「貴重な武器だったんですがね」
そう不満げに言いながら、真紅の花弁に彩られた蔵馬が眉をひそめて見上げてくる。その眼差しには、あの時のような殺意の片鱗もありはしない。返事代わりに嘲るように喉の奥で笑ってみせると、蔵馬は困ったように一つ息を吐いた。そのまま彼はそれ以上何を言うこともなかった。床に散らばった薔薇の欠片を手のひらに拾い上げていく。白く細い指先が一欠片ごとを丁寧に、優しく。
その様を、飛影は見るとはなしに眺めていた。カーテンの隙間から洩れる陽光に照らしだされた白い肌、緩く結ばれたままの唇、瞬きをする度に揺れる睫毛、無心に手元を見つめている瞳。それらばかりを映していたその目に、強い赤が一つ、とまった。蔵馬の首筋を流れる長い黒髪に絡んでふわふわと揺れているその一片に、気がつけば引き寄せられるように指が伸びていた。
触れた髪の感触は、まるで先ほどこの手で壊したばかりの花を思わせて、飛影に一瞬の躊躇いを与えた。花に触れるよりも慎重に、細い髪筋を撫でて払い、赤い破片だけを掬い上げる。その相応しくない、あまりにも丁寧な仕草で離れる指を追うように、蔵馬の顔が上げられた。二つの視線が絡んだのはほんの僅かの間。逃れるように顔を逸らした飛影は、その己自身の行動に困惑する。
蔵馬の髪に触れた。蔵馬がそれに気づいた。ただそれだけのことが、胸の奥にむず痒い気まずさを飛影の内に生んだ。まるで、誰にも知られてはいけない秘め事を見咎められたような、それはそんな感覚だった。
飛影が指の間に挟んだ紅い花弁を受け取ろうとしてか、蔵馬の手が伸びた。しかしそれを避け、やや思案してから飛影は欠片を自身の舌の上へ乗せた。奥歯で噛むとさり、と繊維の解れる音がして、僅かな苦みが広がった。あんな香りがするものだから当然甘いものだと思っていた。意表を突かれる形になり、思わず眉を寄せる。
「美味くはないでしょう」
衝動的な飛影の行動を見守っていた蔵馬が、戸惑いを乗せた声で問うてくる。
「食えるように加工しましょうか。砂糖漬け、ジャム、他にもいろいろできるけれど……」
「いらん」
申し出を間髪置かず一蹴する。ただ気まぐれで口にしただけだ。そこに何の意味もない。食えるものは食うが、食えないものを無理に食おうとするほど、食に対して貪欲でもなかった。
薔薇の欠片を抱いた蔵馬が立ち上がる。そのまま飛影のもとへやってくると、腕を伸ばした。触れ合いそうになり、反射的に身をずらす飛影を特に気にした素振りもなく、その身体の向こう側、窓の外へと腕を伸ばした。ふわりとやってきた風に、その手の中にあった花弁を委ねる。紅い欠片たちは待ち兼ねたかのように澄み渡った空へと舞い上がると、あっという間に溶けていった。蔵馬はそれを、息をつめたようにただじっと、見送っていた。
広がる蒼一色を眺めている蔵馬の髪を、再び舞い込んだ風がふわりと巻き上げた。それに乗って漂った香りが鼻孔をくすぐる。そこで初めて、それがあの花と同じものだと飛影は気づいた。彼からはいつもこの匂いがしているのだ。甘くて、何か身体の奥をくすぐるような。おそらく常にあの赤い花を身につけているせいなのだろう。
薔薇は苦い。ならばこの人の肉を持つ妖怪は、一体どんな味がするのだろうか。そこまでで、飛影は思考を断ち切った。馬鹿馬鹿しい。食人嗜好などは持ち合わせていないはずだ。
「これは、ちょっと使えるかもしれないなあ」
微動だにせず窓の外に目を向けたままだった蔵馬が、不意にぼそりと呟いた。それは悪戯を思いついたような、少し笑みを含んだ声だった。またどんな恐ろしい考えが浮かんだのかと飛影が視線を寄越せば、
「秘密、ですよ」
その身に纏う薔薇の香りに劣らぬ甘さで、彼はただ笑うばかりだった。

さうびのかほり

風華円舞陣誕生秘話(捏造)

2009.6.18


携帯...←戻
PC...ブラウザを閉じてお戻り下さい

inserted by FC2 system