16. 涙


氷女の寿命は限りなく長い

百年ごとの分裂期に一人の
子を生む 誰の力も借りずに…
子はまさに分身であり
全て女である

男と交わらない限り


生まれてきた子どもは雄性の性質のみ受け継ぎ、残忍な性格である例が極めて多かった。理由は知らなかった。知ろうとも思わなかった。どうでもいいことだ。
俺が俺であることに、理由など必要無い。


「涙を、奪われたのです」
そう言って、雪菜は俯いた。


*****


「兄は、見つかりましたか?」
蔵馬の計らいで桑原の家に雪菜と二人きりにさせられた。
‘じゃあ、オレと桑原君は図書館に調べ物しに行くから、雪菜さんと留守番してて下さいね’
……余計なことしやがって。思いながら窓の外を歩いている長い髪を見つめていると、不意にそう問われた。
「いや」
短く答える。
「そうですか」
ふわりと笑う。それきり、雪菜は黙り込む。俺も話すことなど無かった。
蔵馬が桑原と帰ってくる前に出て行くこともできた。だが、その時は不思議とそんな考えなど、浮かびもしなかった。出て行くかわりに。
「何故そんなに兄に会いたがる?」
そんな言葉が口から出ていた。雪菜は少し驚いたような顔をし、それからはにかんだような笑みを向けた。
「兄だからです」
そう言って、急須に湯を注いだ。
「私のたった一人の、家族だから」
そうしてまた、笑いかけてくる。居心地の悪さに顔を背け、毒づく。
「ふん……『忌み子』とやらは残忍な性格なんだろう。会ったところで……」
「そんな、残忍だなんて」
表情を曇らせる。
「本当は、優しいひとなんです」
紡がれた言葉に、思わず息を呑んだ。
「何故、そう言い切れる」
「それは……」
ぎゅっと手の中の湯呑を握り締め、雪菜は少しだけ目を伏せた。
「泪さんから言っていたんです…‘忌み子が残忍な性格で生まれてくるのは、氷女がそうさせているからだ’と…」


その昔……初めて忌み子が産まれた際、氷女達は驚いたと言う。女のみの氷女族では、かつてから男子は汚れたものとされていた。
その氷女は出産直後、異種族の妖気に耐えられず死に至り、泣き喚く赤ん坊の瞳からは、氷女の氷泪石が零れ落ちていた。それを見た当時の族長は、怒り狂った。
……おのれ、我ら同胞を死に至らしめた挙句同胞の証である氷泪石を生み出すとは――!!……
族長は、呪術によってその赤ん坊の涙を奪った。その際、涙を流す要因となる感情――すなわち心までもが奪われた。心を失った赤ん坊は多くの氷女を虐殺。その時から、産まれてくる男子は忌み子と呼ばれるようになった。


「それからは、男の子が産まれるとまず涙を奪い、呪符によって妖力を封印した後、地上に捨てる決まりになったんだそうです。ですがこのことは、族長や、その他氷女の中でも位の高い者しか知らない事実だそうで、泪さんも偶然耳にしただけで、本当かどうかは解からないと言っていましたが…」
『同胞(氷女)』の証を奪い、力を封じ、消す。
「私は、本当だと思っています」
すべては、自分達のために。
「兄も……涙を、奪われたのです」
そう言って、雪菜は俯いた。
「…………」
俺は、暫らく言葉が出なかった。それは果たして真実なのか、俺には解からない。術を施された記憶は無かった。
生まれる前から目も見え、耳も聞こえていた。だが一体、何を思っていた?温かい感情など持っていたか?――覚えているのは、生まれ落ちた直後から抱いていた、憎しみだけだ。
「兄は、苦しんではいないでしょうか」
雪菜の言葉に我に返り、はっと顔をあげた。目に映ったその表情は、酷く哀しげで。
「心を無くして、たった一人で苦しんではいないでしょうか。辛くは、ないのでしょうか。……飛影さん」
真摯な眼差しが向けられる。
……まったく、おまえは。
「くだらんな」
言った言葉に、雪菜ははっとその瞳を見開いた。やがてそれに涙が溢れ、今にも零れ落ちそうになる。それから目を逸らすことなく、俺は言い放った。
「もしその奪われた心とやらがお前の兄に必要なのなら、そいつは自力で取り戻しているだろうぜ。なくしたのなら、探せばいい。見つけて、取り戻せばいい。―――……少なくとも、俺はそうやって生きてきたぞ」
雪菜の瞳がもう一度大きくなって、それから、一つ…二つと雫が零れ落ちた。それが白い玉となって床を転がり、俺の足元で止まる。
「そう…そう、ですね」
拾い上げ差し出した石を震える指で受け取りながら、雪菜は今日一番深い笑みで俺を見上げた。
「兄も、きっとそうだと思います」
その時、玄関の方から蔵馬の声が聞こえた。
「あ……帰られましたね」
さっと目元を拭って立ち上がり、玄関までかけていく。やれやれ、やっと戻ってきたか。
「ただいま帰りましたよ〜ゆっきなすわぁ〜ん!!飛影のヤロウに変なことされませんでしたっ!?」
「ええ、とても優しくして戴いて」
「え〜!!こいつが優しい〜〜!?雪菜さん、それは何かの間違いですよ!!」
……ちっ。桑原の馬鹿め。
雪菜達のやり取りを笑いながら見ていた蔵馬が、ちらりと俺に視線を向けた。
‘どうです?兄妹の交流は深められました?’
……余計な世話だ。視線でそう返すと、蔵馬はくすくすと笑った。まったく、おせっかいなやつめ。
「あ、もう帰られるんですか?」
扉に手をかけた俺に、雪菜が言った。
「ええ、またお邪魔しますね。じゃあ雪菜さん、桑原君、また」
「おう、蔵馬、また頼むぜ〜」
「飛影さん!」
呼ばれ、足を止める。
「ありがとう、ございました」
それを背中で受け止めて。俺は、地を一つ蹴った。
「まったく…相変わらずだな、飛影」
少し遅れて追いついた蔵馬が、笑いを含んだ吐息をついた。
「何の話をしてたんです?雪菜さんと」
「ふん…」
屋根伝いに跳びながら、俺はちらりと蔵馬を見る。
涙、か。
俺には、そんなものは必要無い。それでも…奪われたままと言うのはしゃくかもしれない。
「貴様が死んだ時ぐらいは、泣いてやるか」
ぽつりと呟いた言葉に、蔵馬が振り返る。
「何か言いました?」
「いや」
クッ、と笑う。
空に浮かんだ月が、まるで氷泪石のように白く、輝いていた。


2004〜2006?


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