「飛影。今日は何の日だか知ってます?」
昼間、突然飛影を呼んだ蔵馬は、彼が家にやって来るなりこう訊ねた。
「知らん」
あっさりとそう返した飛影に、蔵馬はため息をつきつつ、まあ予想してたけど、と笑った。
「今日はね、俺と貴方が初めて逢った日…飛影、今日で五年目なんだよ、俺達が出逢ってから」
「というわけで、二人で一つずつお互いの望みを何でも叶えあう、というのはどうです?」
「…ほう」
楽しそうに微笑んで言う蔵馬を内心訝しみながら、飛影は言葉を紡いだ。
何となーく嫌な予感がするのだが…飛影はあえて深くは突っ込まなかった。
「別に構わんが…叶えられる範囲にしろよ」
「解かってますよ」
ソファに腰掛け、蔵馬は飛影を見上げて微笑む。
「俺の望みもきちんと叶えるんだろうな」
「出来るだけの努力はします」
飛影がどんな内容の望みを言ってくるのか、大体予想ができるらしく、蔵馬は僅かに苦笑した。
そう、こっちの願いも叶えられると言うのなら、飛影にだって損は無い。
存分に楽しませてもらおうではないかふっふっふ、てなもんである。
「……良いだろう。お前の望みを言ってみろ」
どんな注文をしてやろうかと頭をフル回転させながら飛影が頷く。
すると、待っていましたと言わんばかりの表情で、蔵馬は飛影に望みを告げた。
「じゃあ、キスして下さい」
「……は?」
蔵馬の言葉に、飛影の脳内思考は一瞬停止する。
「……そんなものでいいのか」
いつもやってる事だろう、と飛影は眼を瞬かせる。
蔵馬のことだから、もっととんでもないことを希望をしてくると思ったのだ。
例えば、「魔界にひとっ走り財宝を盗りにいけ」とか、「新しい薬草の実験台になれ」とか、
「今日は自分が上だ」とか…うんぬん。
……まあ、実際はどれも普段聞いてやっている事なのだが。(何)
しかしながら、あまりにも容易い願いである。が。
「構わないよ。俺は飛影にキスされるの、好きだからね」
そう言って、ふわりと微笑む。そんな蔵馬に飛影は一瞬眼を見開き、
それからふ、と視線を落とした。
そんな笑顔で、‘好きだ’…なんて言わないで欲しい。
いつだって、そんな顔でその台詞を言うのだ、こいつは。
そうされると、決まってこんなふうに、胸の奥に甘い疼きが走る。
それが苦しくて、でもとても心地よくて、何だか悔しいと思う。
蔵馬だけにしか、こんなふうにはならないから。
「…本当にそれでいいんだな」
伏せていた眼を蔵馬に向けなおし、飛影は問うた。
「ええ」
蔵馬は頷くと、飛影の首に指を掛けた。
少し冷たいその感触に引き寄せられるように、飛影はゆっくりと顔を伏せていく。
指でそっと唇をなぞり、瞳を閉じた…瞬間。
ぱふ、といつもとは違うやわらかいモノに触れた。驚いて目を開けると、
どういうわけか蔵馬がにっこり微笑みながら、手で飛影の口元を覆っている。
「きさ……」
どういうつもりだ、と飛影が文句を言いかけたとき、蔵馬の微笑みがにやりと――
……つまり、何か企んでいる時の笑みに切り替わった。
「確かにキスして下さい、とは頼んだけど…俺がして欲しいのは、
そっちじゃなくてこっちなんですよ」
言って、細い指先でトントンと自分の頬を指す。
言われた飛影は、しばしの絶句。
罠にはめられた事にようやく気付くが、時既に遅し…哀れ、飛影。
「………何……?」
「まさか、出来ないなんて言わないよね?」
少し小首を傾け、問い掛けてくる様はたいそう可愛らしいが――
……蔵馬のそれはほぼ脅迫である。できない、と言ったらおそらく……
「そんなこと、できるわけあるか!!」
「おやおや、‘いつも’は俺が頼まなくてもやってくれるじゃないですか」
……案の定。覚悟はしていたが、思わず飛影は赤面する。
「‘いつも’なら頬だけじゃなくてもっと別の場所にも積極的に…」
「‘いつも’と今とでは状況が違うだろうがっ!」
思わず声が大になる。
そう、状況が違うのだ。彼等の言う‘いつも’では…まあ、いつのことなのか
明記はしないでおこう…飛影は別に意識してキスしているわけではない。
自然に…と言うべきなのか…とにかく、何も考えていないのである。
それなのに。この状況で、しかも頼まれてだなんて、小っ恥ずかしくて出来るわけが無い。
「じゃあどうして普通にするのは平気なんです?ただ場所が唇から横に移動しただけなのに」
「〜〜〜っ!」
そんなことを問われたって、飛影にだって解かるはずが無い。慣れていないからだとか、
普段そっち(?)は蔵馬担当だからだとか…色々あるのだろうが。
「ねえ、飛影……」
「〜〜〜うるさいっ!!」
蔵馬の言葉を遮って、飛影はその細い身体をソファの中に押し倒し、荒々しく唇を塞ぐ。
「わっ!ちょ――……っ…」
抗議しようと開いた隙間に舌を滑り込ませ、身も心も溶けきってしまうほどの長い口付けを施す。
抵抗を示していた蔵馬の腕が、縋るように飛影の背に巻きつけられた頃、
ようやく飛影は蔵馬を解放した。
「……ひどい」
染まった顔で、蔵馬はそう漏らした。
「こっちじゃないって言ったのに……」
「……ふん」
薄く笑って、飛影は顔を背ける蔵馬の頬を優しく指で辿る。
「これが俺の‘望み’……だ」
「まったく…」
呆れたようなため息をつきながらも、蔵馬の顔が幸せそうに綻ぶ。
甘えたようにすり寄せてくるその柔らかな頬に、飛影は一つ、唇を押し当てた。
そうして僅かに見つめ合い、くすりと笑って今度はどちらからとも無く唇を重ねる。
出会って五年目の二人の、そんな昼下がり。
幸せ記念日。
2003
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