その白さが、いやに目についたから。


**クレナイ**


「暑いから」
見慣れぬ後ろ姿に、窓枠に掛けた足は意図せず止まっていて。
何となく見知らぬ地を覗き込んだような感覚に陥り、ぼうっと眺めていたら、不意に振り返ったヒスイの双眸がおかしげな色を載せてそう言った。
「暑いからね。さすがにうっとうしくて」
人間界ではまだ厳しい残暑が続いている。文字通り化けの皮を被った狐であるこの妖怪にとっても、さすがに堪えるらしい。
「暑いなら切ればいいだろうが」
頭の上でひとつにまとめ上げられた長い髪の、細い肩の上で柔らかく波打つそのひとふさを指先ですくいながら呟いた。
すると彼はくすりと苦笑に近い笑みを洩らして、
「そうしたいのは山々なんだけど」
誰かさんがお気に入りのようなので――自分の髪に絡まる指に、囁くような唇を当てる。
その熱にあおられて、引き寄せた。
抱擁は、ひどく久方ぶりのように思え……しかし腕におさめる感覚は、記憶の中のそれと寸分たがわず。
――むさぼるように、奪い合いながら唇を絡めて。
あとは崩れ堕ちるだけだった。



高まる熱に霞む視界の中、何故か晒された首筋の白さが目についた。
まるで誘われたかのように、つ、と指を這わせれば、熱を帯びた息が一層震えて。
何を思ったか。
気付けばそこに、紅を刻みつけていた。
常にはその髪に隠されている――身に付けた本人にの目には決して触れぬ場所。
こんな下らない、ただきつく口付ければ痕が残るという、ただそれだけの行為を、すすんで行うなどほとんど無かったことだった。特に、人間達の目を気にした相手がそれとなく拒んでからは、一度も。
それなのに。
あまりにも唐突に、強く沸き起こった不可思議な“欲”は、それであると意識するより早くこの身体を支配した。


……あまりにも白かったせいかもしれない。
太陽の熱に触れていないその肌は、どこかけがれない新雪を思わせるから。


それは、自分にとっては遠い地のものだった。
懐かしいという想いも、ましてや求める想いなど、抱きようもないほど遠い場所。

だから。
だからその清らな色に、紅を交えてやりたくなったのかもしれない。
無垢な新雪よりも遥かに自分に近い、一滴の血の色を。


この存在は己と同じ生き物なのだと確信していたくて。


明日も彼は髪を束ねるだろうか。首筋に刻まれた印に気付かぬまま、街を歩いて。
見つけた人間は何を思うだろう。
そして知った時、今隣で穏やかに眠っているこの顔はどんな表情をするのか……きっと厭味を十や二十は言われるに違いはない。


それでも。
そうなることを期待している自分は、既に狂っているのだろう。
そんなこと、とうの昔に解かっていたけれど。


明日もきっと、暑い。

2006.


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