医者である男が自国の王に連れられてその館を訪れたのは、今朝方運び込まれた急患の治療に必要な薬草を求めてのことだった。
自国から半日駆けたほどのところ。深い森にまるで守られるように、黒い館はそこにあった。
封印を施された門も、王が前に立つとするりとそれをほどいて、二人を迎え入れる。入り組んだ館の中を淀みない足取りで進み、ある一室の前に辿り着いた国王は、昔からの「ダチ」なんだ、と男に囁いてから、細かな細工の施されたドアノブを回した。
「よお、元気にしてたか」
扉の向こう側に広がった暗闇。中には、目玉が三つ、浮かんでいた。ごそりと動く気配が二つして、くすりと笑みを含んだ吐息が届いた。
「いつも言ってるでしょう、幽助。ノックくらいしてもらわないと困るよ」
並んだ言葉は非難めいていても、その声はどこまでもやわらかだった。
「わりーわりー、まーでもオレとおめーらの仲だ、大目に見てくれや」
言いながら影に歩み寄る国王に続きながら、男はじっと、その先に二つあるらしい存在を見極めようと目を凝らす。闇に慣れ始めた目がその輪郭をおぼろげに掴みかけたとき、小さく弾けるような音がして、部屋の中に光が生まれた。
目の前に浮かび上がった光景に、男は、息をのんだ。
部屋の中央には、広い空間に似つかわしくない大きさのベッドと、その脇に今しがた国王が点けたらしいランプだけがあった。そして、白いベッドシーツの上で身を寄せ合う、二匹の妖怪。

奇妙な光景だった。片やその両眼を、片や口と鼻、耳を塞ぐように布で覆っているのだ。先ほどからじっとこちらを見つめている三つの目は、いずれも黒衣を纏った男のものだったようだ。そして、
「親しき仲にも礼儀あり、ですよ」
このくすぐるような甘さを含んだ声は、ゆるやかに波打つ長い髪を背中に零した、おそらく男、の、薄紅の唇から発せられていた。その上にすっと伸びた鼻筋と、髪の間から覗くつんと張った耳。布に隠された眼球のふくらみは、寸分の狂いもなくそこにあるに相応しい場所へと収まっていた。その両の眼は何色をしていて、どんなふうに自分を映すのかと――そう思い描きかけた男は、冷たい気配にはっと身を縮める。こちらを見つめる黒衣の男の視線が、いつの間にか切り裂くような鋭さを湛えていた。
「飛影?」
僅かに膨れ上がった妖気を察してか、そう呼んで、長い髪の男が白い手を彷徨わせた。黒衣の男――飛影の指が、応えるようにその顎をとらえて唇を撫でると、どこか安堵のような笑みを浮かべる。やさしい指先の動きとは裏腹に、こちらに向けられたままの飛影の視線は鋭利さを失わないままだ。
「それで、要件なんだがな、」
すっかり臆してしまった男に苦笑しながら、国王はそう切り出した。

***

目的を果たして早々に自国へと戻ってきた男は息を整える間もなく手術着を身に纏った。
館の主から譲り受けた薬草はよく効いて、患者はみるみる回復した。治療も一段落ついたところで、男は改めて国王の元を訪れ、礼を述べた。さらに国王の友人に対してろくに挨拶も出来なかった失礼を詫びると、国王は豪快に笑った。
「こっちこそ悪かった。飛影はちょーっと目つき悪くて無愛想だけどな、悪い奴じゃねーんだ。おまけに最近は全く喋らねーんだから余計に誤解されちまうよなあ」
元々無口な奴だったけど、と呟きを付け加える。男が首を傾げると、少し言いにくそうに国王は後頭部を掻いた。
「昔はな、あんなんじゃなかったんだよ。飛影も蔵馬も、ちゃんと自分の目で見て、鼻で匂いをかいで、耳で聞いて、口で喋ってた」
国王は、黒衣の男――飛影は邪眼を持っているため視覚が、長い髪の男――蔵馬は狐の化身であるため聴覚・嗅覚・味覚が、それぞれ優れていることを説明すると、 「『お互い足りない部分があれば、その点において優れた他者と補い合うのが共生です。生き物みんなやってることですよ』って蔵馬は言ってたけどな、ありゃどー見たってただイチャついてるだけだ」

***

「幽助は、元気そうでしたね」
細い指が、白い布の結び目を解いた。細い帯はまるで蛇のように飛影の頬を滑って、ランプの光に閃きながら、白いシーツの上に落ちていく。
「何か、変わっていましたか。もう何年も見ていないから、どんな姿になっているのか――」
言いかけた言葉は、重なった二つの唇の間で掻き消えた。そのまま絡み合う濡れた音へとすり替わって、部屋の中に反響する。
「お前は見る必要はない」
耳元に、低い声が囁きかける。飛影の声。今は蔵馬だけが聞くことを許されたものだ。そう思うと、視界を奪われて刺激に敏感な自分の身体がより強く震えるのを蔵馬は感じた。
「、蔵馬」
吐息に交えて、飛影が呼ぶ。
二人でいる時間、以前よりも名を呼ぶ数が増えた。それが蔵馬はどこか嬉しかった。だから、蔵馬も応える。
「飛影」
四肢の先まで痺れるような快感の波。それに呑まれぬよう、飛影の肩に縋りつきながら、
「あなたが、見たい、飛影」

蔵馬の懇願を、飛影は聞き入れた。
蔵馬の瞳を覆い隠す封印を解く。その下から現れた薄い瞼がゆっくりと持ち上がり、濡れた光を湛えて二つの宝玉が覗いた。
飛影の姿を見つけ、そっと笑った蔵馬は、飛影がその目に映す他のどんなものよりも鮮やかだった。
視覚を奪われ、飛影に縋り頼らなければ何もできない蔵馬。それは飛影の独占欲を満たし、たまらない優越感を与えた。だが、こうして自分をその両目で見つめてくる蔵馬はやはり美しい。だからこそ、他の誰にも見せてやるわけにはいかない。
「飛影」
己を呼び、切なげに鳴く声と、頭の芯が痺れるような香気。舌先で味わう皮膚の甘さ。
飛影のすべてが、蔵馬で満たされていた。

***

「あーあ、昔はあんなんじゃなかったのになあ、いつからあんな……いや、人前でノロケんのは昔っからやってたか……」
頭を抱えて嘆き始めた国王に、男はかける言葉も見つからない。
昔からノロケられてたのか……国王もご苦労されてたんだなあ……とあの鋭い眼光を思い出して背筋を震わせつつ、どのタイミングで職場に戻ればよいのか、そのことの方が今は男にとって気がかりだった。

Symbiosis‐End.

挿絵の別ver→共生

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