毒と薬を



俺の腹の真ん中あたり、ぽっかりと深く口を開けた赤い奈落の中に、蔵馬の白く細い指がどろどろと、透明な雫を流し込んでいく。何度も何度も、形を確かめるように、その指が穴の縁をたどる。そのたび、重い痛みとむず痒いようなじれったさが背中を走った。清めたばかりの身体からは、いつもより高い熱と香気が漂っている。それを両腕で捕らえたい衝動を持て余し、目の前で揺れる長い髪に指を通してみる。少し水気を含んで重いそれを掻き上げると、間から見つけ出した小さな耳。舌を伸ばして隆起をなぞる。飛影、とたしなめるような、それでいて笑みを含んだ声が俺の名を呼んだ。答えの代わりに少し吸い上げると、腹の上で震えた身体が甘い息を吐き出す。面白い。もっと強くすればどうなるのだろう。逃げようとする腰を抑えこもうとした瞬間、激痛が脳を撃った。驚いて放すと、くすくすと笑う蔵馬が俺の腹の上から見上げていた。俺は頬を引き攣らせる。蔵馬の指先が傷口に食い込んでいたからだ。怪我人は大人しくしていて下さい、と言いながら引き抜かれた指先は赤く濡れていた。紛うことなく、行為は意図的なものだった。治療しているはずが一層酷さを増すことになるのは面倒だと、舌打ちしつつも反論することなく再び白いシーツの上に身を横たえる。右手は絡めた長い髪を弄び続けていたが、それには蔵馬は目を細めただけで何も言わなかった。
目を閉じると、薬の冷たさと傷の痛み、それを覆う蔵馬の手のひらの温度だけが感じられた。先ほど俺の傷口を抉ったのと同じ指が、吐息のような優しさで触れている。それが腹の上を行き来する感触を、ただ追っていた。
ねえ飛影。不意に、耳元で蔵馬の声が囁いた。オレが治療のふりをして、お前の傷に毒を塗りこんでいたらどうする?少しずつ少しずつ、長い時をかけてお前を死に至らしめる猛毒を。
それは、仮定とも、真実ともとれる言葉だった。確かに、笑いながら傷に爪を立てるこいつならばやりかねない。指の間をすり抜けて落ちていった髪の感触を追いながら、俺は思った。それはこれまでに何度も考えたことだった。そしてその度に、忘れていたことだ。
貴様とて、俺に毒を飲まされていることに気付いていないようだな。そう言って口の端を釣り上げると、腹の上の指が止まった。その隙をついて細い身体を捕らえ、自分が身を横たえていた場所へと沈める。開かれた唇から音が溢れる前に、僅かに覗いた舌を喰らった。重ねて、なぞって、奥の奥まで侵食する。下肢の間に忍び込み、そこからも。閉ざされた扉をこじ開けてなかを探ると、濡れた音と共に蔵馬が声を上げた。
こうしてお前の身体の中に毒を流しこんでいる。じりじりとお前の身体を内側から焦がしていく埋火を。言いながら、無防備に晒された白い喉に歯を立てて、笑う。ここを噛み切れば、俺はこいつを殺せるのだ。そんなことは、何度だって考えた。考えても次の瞬きののちには忘れていて、ただこいつの表情や声の変化、心地良い感触を追うことに夢中になっていた。今だって、飛影飛影と俺を呼びながら固くシーツを握りしめているこいつを、どうすれば堕とすことができるのか、そればかり考えている。
例えば、本当に薬が毒であったならば。今ようやく背に回された縋りつくようなこの腕に、刃が握られていたならば。その様を思い描いては、俺はその幻想を思考の彼方へと置き去りにしてしまうのだ。そんなことは起こり得ないことだと、思っているわけではない。むしろいつかそうなることは必然であるかのようにさえ感じる。妖怪にとって殺すことは本能だ。お互いに、殺せるのに殺さないのか、それとも、いつだって殺せるからまだ殺さないのか。理由を考えようとしたところで、蔵馬のなかの熱さに呑まれて、すぐにどうでもよくなった。
ただ、今は俺も蔵馬も生きている。それだけのことだ。そう今日も結論づけて、俺はもう一度蔵馬の唇を塞ぐ。
薬の乾いた腹の傷は、とうに塞がっていた。


2010.06.20



(信頼しているのか疑っているのか)


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